奨学金制度とは?①どんな種類があるのか教えます!
青い海と豊かな緑に囲まれた高知県。その場所で若者の未来を照らす小さな光が生まれた。県内の学生へ奨学金事業を展開する公益財団法人 土佐育英協会と、高知県の上智大学OB会(高知ソフィア会)が全面的にサポートするともしび奨学基金である。
この基金は経済的な苦境に置かれている高知県の若者へ、大学進学の費用を月3万円(4年間で144万円)無償で給付する。2021年10月から希望者を募り、来春の大学新入生(1名)を第1期生として採用予定だ。
これまで高知県内において奨学金制度といえば、貸与型が多かった。今回のともしび奨学基金は給付型であり、県内の給付型奨学金制度の拡充に貢献する。昨今のコロナ禍も含め、貧困により未来への希望が抱けず、同じ奨学金制度でも将来返済に苦しむ可能性がある貸与型を躊躇し、進学を断念する若者は多い。4年間にわたる給付型のともしび奨学基金は、そんな高知の若者へ確実に希望をもたらすだろう。
給付の資金は奨学金設立に共感した市民や企業からの寄附金と、県内の洋菓子店「菓子工房シャン・クレール」他2店が製造する独自開発の“低糖質菓子”『美糖質スイーツ』の売上5%で成り立っている。この仕組みが構築された発端には、長年、高知県で菓子業界に携わってきた1人の経営者の存在があった。
- 土佐育英協会「ともしび奨学基金」
創設者 福永 稔さん- 株式会社スウィーツ(2006年設立、高知県南国市物部)創業者。給付型奨学金を借りて上智大学経済学部へ進学。卒業後、東京の大手商社へ就職。29歳で高知県へ帰郷し、老舗製菓会社「菓舗 浜幸」で20年ほど役員を勤める。53歳で退職後、(株)スウィーツを立ち上げ、現在は代表取締役会長に。2017年から洋菓子店「菓子工房シャン・クレール」の立田俊二氏と、従来よりも糖質が90%ほどカットされた低糖質菓子『美糖質スイーツ』の開発に取り組む。(公財)土佐育英協会と高知ソフィア会のバックアップを得て設立した「ともしび奨学基金(給付型奨学金)」へ売上の5%を寄付する仕組みを作り上げた。
——福永さんは高知県で長年役員をされてきた老舗製菓会社を退職後、2006年に起業された「株式会社スウィーツ(高知県南国市、以下スウィーツ)」で現在は代表取締役会長をされています。今回、売上の5%がともしび奨学基金にあてられている『美糖質スイーツ』は、県内にある個人経営の洋菓子店と障がい者就労施設で製造されているそうですね。ご自身の会社では開発・製造されていないのでしょうか?
福永:ありがたいことにスウィーツは、現在“注文に生産が追いつかない”という状況になってきており、新工場を建てないと生産が間に合わないんです。
なので『美糖質スイーツ』の開発・製造は、私の同級生で尊敬するパティシエの立田さんと、彼の店である「菓子工房シャン・クレール」で行ってきました。糖質をカットしたスイーツを作りたいという私の相談に、立田さんが「ぜひやりましょう!」と言ってくださったのです。
障がい者就労施設でも製造を始めた理由は、後ほど経緯をお話しますが、開発したスイーツを世の中に貢献する形で広めたいと思ったからです。
菓子販売をされている障がい者就労施設は多いものの、施設は製菓会社の私どもと異なりお菓子作りに専念できるわけではありません。レシピ開発に限界があったり、商売としての売上は立ちにくいという課題があります。なのでお菓子作りを専門とする私たちが、日本のトップクラスの技術が詰まったとも言える『美糖質スイーツ』のレシピを渡し、作り方を指導することで、障がい者就労施設の売上や作業される方々の賃金アップに貢献をはかっています。
——なぜ美糖質スイーツ……低糖質なお菓子を作ろうと思ったのでしょうか?個人的には、昨今の「糖質制限ブーム」を見越してなのかなと思いました。
福永:2017年に私の高校時代の友人が糖尿病になり、「おいしくないお菓子は食べた気がしない。おいしい低糖質のお菓子を作ってほしい」と言ってきたのが始まりです。糖質制限ブームだとか社会的なニーズを見越してではなく、糖尿病患者から持ちかけられた話なんですよ。
それまで私は糖質の量などまったく気にせず、ただ“おいしい”お菓子を作ればいいという考えで菓子業界におりました。でもそのおいしいお菓子は砂糖など炭水化物がたっぷり入っていますので、糖尿病を患ってしまえば食べられなくなるんですよね。
当時も糖質オフのスイーツは巷で売られ始めていたのですが、通販でいろいろ取り寄せていた友人によると「本当においしいものがない」と言うんです。
確かに、お菓子は心の食べ物……心の隙間を埋めていくものですから、食べて満足して良い気持ちになるという過程がなければいけない。たとえ成分としては低糖質でも、お菓子は「おいしくなければつまらない」ものなのです。
友人に「全国にも糖尿病患者はたくさんいる、君がおいしい低糖質スイーツを作ることは必ず世の中の役に立つ」と説得され、おいしくて“超” 低糖質のスイーツ開発をすることに決めました。
——1人のご友人がきっかけだったのですね。ちなみに、低糖質ではなく “超” 低糖質とおっしゃられた意味とは?
福永:基本的に低糖質の認定は、従来品より1%でも糖質を下げられれば「低糖質」と謳ってよかったりするんですよ。だから流通している低糖質商品は、ピンからキリまで存在します。しかし私達は糖尿病患者のために作るのですから、単に低糖質と名乗れるものではなく、質が良いものを目指してきたのです。
現在販売している商品は『美糖質スイーツ』という名前がついていますけど、それは最初、糖質量が「微小」であることの “び”、『“微” 糖質スイーツ』にしようと思っていたんですよ。
——最終的に、美しいの「美」を充てられたのはなぜですか?
福永:開発していくなかで生じた4つの意味を込めています。
1つめはメインである微糖質の“び”。
2つめは体の中から綺麗になる“び(美)”です。
スイーツの開発は生物学を専攻する友人の助けを借りて、私が科学的根拠など理論や材料を集め、パティシエの立田さんが実際に試作するという形で基本的に進めていきました。発売までに1年半。その後も3年半にわたり開発・改善を続けており、立田さんはおよそ2000回以上試作をし、猛烈に試作品を食べていました。すると、彼は甘いものを食べているのに4ヶ月で6キロ痩せられたのです。レシピがいい感じに仕上がり試作の手を緩めたらリバウンドして、また試作と試食を始めたら痩せていった。その現象に、これはなんだ?すごいぞ!と2人で驚いたんですよ。原因はスイーツしか考えられませんでした。立田さん、試食の量が多かったときは非常にお通じがよかったらしいんです。
『美糖質スイーツ』はとにかく糖質を減らすために、従来の菓子作りには欠かせない小麦粉と砂糖を、天然の甘味料やアーモンド粉、水溶性食物繊維などの素材で置き換えています。飾りのチョコレートまで糖質ゼロの独自のレシピです。見た目以上に大量の食物繊維でスイーツは構成されているんですね。
例えば、いちごショートケーキのワンカットにはレタス3個分。18cmのロールケーキ1本にはレタス21個分の食物繊維が含まれています。レタス21個なんて、牛にならないと食べられない量ですよ!
この大量の食物繊維によってお通じがよくなり、それがどうやら痩身に影響したと考えられました。そんなことを狙って食物繊維を採用したわけではなかったのですが、立田さんというパティシエの思わぬ人体実験で結果が出てしまいまして(笑)。食物繊維で腸内環境が美しくなるのをあらわしたのが2つめの“び”です。
実際、いま立田さんが店で販売している美糖質スイーツで売れ行きが良いのがロールケーキなんですよ。それも1人用にカットしたものではなく、1本まるごとがよく売れます。普通はロールケーキ1本って単価が高くなりますから、なかなかお店で売れにくいんです。けどレタス21個分ですからね、「ロールケーキを食べたらお通じがありました!」というお客様がたくさんいらっしゃって、1本がよく売れるんです。
——すごい機能性なんですね!
福永:3つめの“び” は、グルテンフリーであることを指しています。グルテンフリーは美と健康のライフスタイルとして欧米やヨーロッパで大ブームとなり、日本でも注目されている食スタイルのことです。
当初はスイーツのスポンジに小麦グルテンを使っていたのですが、開発中、試食と評価に協力していただいた大学の先生や病院関係者など様々な人から「グルテンフリーも叶えてほしい」という提案をいただきました。ショートケーキやロールケーキなどスポンジが必要なお菓子に小麦粉は欠かせないのでかなり苦労しましたが、試行錯誤の末に全アイテムのグルテンフリーを達成しております。
そして最後、4つめの“び”は味のことです。
おいしいって『美味しい』と漢字表記をしますよね。開発を続けているうちに品質や味も向上し、おいしい低糖質スイーツが実現しました。
——売上を“ともしび奨学基金” へ繋げようと思ったのはなぜですか?
福永:作っているときに、私と立田さんの間に感動があったんです。
最初はただ「おいしいものを作って」と友人から言われたことに取り組んでいただけのことが、気づけば立田さんという開発者の実体験によって、優れた機能性が備わっていることを目の当たりにしました。想像以上にすごいものができつつあると、作っている自分たちが驚いてしまったんです。
この思いがけない感動は独り占めにするのではなく、私たちが「無償の善意」 と呼んでいるもの——つまり、周りに対価を求めない「返済不要」の善意ですね——それによって技術も利益も、社会へ幅広く受け入れられるものにしたいと、自然に意見が一致しました。
『美糖質スイーツ』の研究開発は苦労の連続でしたが、そのレシピを他の人にも渡して作ってもらったり、この事業の収益を私達だけのものにはしないと決めたのです。
——返済不要の善意……返済不要の給付型奨学金と同じ雰囲気を感じました。収益の還元先を奨学金と具体的に決めた理由はなんですか?
福永:無償の善意によって生まれたこの利益を社会に還元するなら、やはり 「教育」 ではないかと思うからです。教育こそが人を作り、人は国の宝である。 これはもう1300年以上前、最澄の時代から変わらない社会の本質的なことなんですよ。
最澄、分かりますよね?日本史で出てくる、仏教の天台宗、比叡山延暦寺を建てたお坊さんです。
数年前に私は比叡山へ行き、そこで修行されているお坊さんから延暦寺の成り立ちを教えていただいたんです。聞けば、当時は仏教が大学みたいな役割をしており、最澄は人材を作るために比叡山に草庵を結んだと。それが今の比叡山延暦寺の根本中堂( ※比叡山延暦寺の総本堂)なんだそうです。
——最澄が残した言葉を調べてみました。「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす」。「能く行い能く言うは国の宝なり」。「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」……。
福永:つまり人こそが国の宝、というのが彼の考えです。宝となる人物を作るために、彼は生涯をかけて後世の育成に尽力してきた。その最澄の時代から、「教育が国の要である」 という物事の本質は変わっていないと私も思うのです。
ところがいま、新自由主義やグローバリゼーション化のなかで貧富の差が激しくなり、経済的に苦しい人たちが大勢出てきて、勉強したくてもお金の面で困っているという人がいる。
本当は国が、国自身のためにも教育部分へもっと投資をすべきだと思うのですが、教育にかけられている国費の割合はものすごく低いのが現状です。偉そうなことを言いますけど、私はこのままでは日本の資本主義社会は持たないだろうと感じています。国を作る人材の育成に力を入れず、「ただ儲かれば良い」という意識だけでは持たないだろうと。
しかし問題意識を持っていても、変わってほしいと口で言っているだけではしょうがありません。自らが身銭を切って、できる範囲で良いから、そのとき持っている精一杯を発揮する。個々が動いてくのが大事だと思っています。
私はお菓子作りのプロフェッショナルですから、この道を通じてだんだん社会の大きな火となることを目指す、その最初の“灯(ひ)”をともそうと行動を起こしたのです。
——それで「ともしび奨学基金」なんですね。
福永:はい、そうなんです。この基金の実現には2つのグループが関わっています。
まず奨学金資金を確保する「心をつなぐ美糖質スイーツプロジェクト」グループ。
材料を提供してくださる農業や畜産に携わる皆さん、障がい者施設、高知のNPO法人、食品加工業の方々、大学の先生たちなどと一緒に美糖質スイーツを売る事業をしています。
そして実際に制度としての基盤を作ってくれた「ともしび奨学基金推進委員会」。
私は上智大学の経済学部を卒業しておりまして、上智大学OBが集まる高知ソフィア会というグループの会員になっているんですね。そこにいる友人へ給付型奨学金の設立を考えているとの話をしたら、「給付型の奨学金は意味がある!」と応援してくださったんです。2018年にソフィア会が中心となって「ともしび奨学基金推進委員会」を立ち上げてくださり、高知県で奨学金貸与を行なっている土佐育英協会に掛け合ってくれました。
この2つのグループに関わるたくさんの人々が後押ししてくれたおかげで、2022年春から土佐育英協会を通じて「ともしび奨学基金」が実際にスタートできるようになったのです。
——福永さんも奨学金で高知県から大学へ進学し、学ばれたそうですね。
福永:伊勢丹奨学会の給付型奨学金を4年間毎月もらい、大学を卒業しました。奨学金を利用したきっかけは、ちょうど私が大学に入る直前に父が経営していた会社が倒産しまして。それで奨学生を募集している財団を探したのです。大学在学中も授業料免除の特待生を狙いました。とにかく親に金銭的な迷惑はかけたくないという気持ちでしたね。
実は私の父も大学時代は奨学金をいただいていました。ともしび奨学基金を立ち上げてから初めて母に聞かされた話なんですけど……。
宝塚歌劇団や阪急電鉄の前身を創られた小林一三さんや、酒類をはじめ健康食品や清涼飲料水のメーカー・サントリーの創業者である鳥居 信治郎さんという経済界の歴史的人物である方々から、奨学金を生活費込みでいただき、当時の帝国大学を卒業したそうなんです。
——とても優秀ですね!
福永:真面目な父だったので、もらったお金は全部使ってしまわずに倹約して、卒業後に鳥居さんたちのところへ「これだけ残しました、ありがとうございました」とお礼に行ったそうなのです。そうしたら鳥居さんに一喝されたそうです。
「端金を溜めておくような“小者”を作るためにお金を出したのではない、もっと大きな人間を作るためにお金を出したんだ」と。
——な、なるほど……。
福永:加えて、「とは言うものの、倹約をしてお金を戻すというのは立派な気持ちでもある。そのような気持ちがあるのであれば、君が私の意思を継いで将来誰かに奨学金を出す、という事を考えてくれるとありがたい」 とも伝えられたそうなんです。
この昔話を聞いて思ったのは、起業家や国を担おうとする方々には「次世代の人材を “無償の善意” で育てようという気持ち」が存在するのだということ。
最澄も、小林一三さんも、鳥居信治郎さんも。そういう人々が気持ちを繋いできた歴史があって、今の日本という国が創られてきたのだと感じました。
父は大きな事業をこの国に興したので尊敬していますけれど、奨学金事業までは手を回すことができませんでした。息子の代になって、父が鳥居さんに言われていたことが実現するのは、なんというか不思議なことです。
他人から無償の善意(給付型奨学金)を得て頑張った父無くして私はいませんし、私も苦しい時に給付型奨学金がなかったら、いまの自分はありません。世の中というものは無償の善意に支えられ、ずーっと受け継がれていくことで成り立つのだという気がしています。
——福永さんも今、その善意を受け継がれようとされていますね。
福永:無償の善意が世の中にあるという認知と実感は大切なんです。諦めるしか選択肢がないと思うようなことが社会にはたくさんありますけど、無償の善意の存在を信じていればじっと耐え凌ぐことができ、胆力がついてくる。そして立ち直ってきたら、できる範囲で無理なくやる。これは「成功のコツ」のようです。
あんまり無理してやらない、できることを諦めずにやり続ける、成功するまでやり続ける。成功するまでやるわけですから、まぁ絶対成功しますよね(笑)。成功しない場合というのは、やはり途中で諦めてしまうから。何事もやり始めた後で障がいは当然出てきます。そういうときには諦めるのではなく、 途中で一息入れてもいいから、休んだ後でまた始めればいい。しんどい時はちょっと休んでいい。そう思えば気持ちは楽になって、また前に進む気力も湧いてくるものです。
——それはご自身の経験から?
福永:そうですね。これまで生きてきた時間を今振り返ると、私は叩かれ強いのが長所なのかもしれないなと思います。今だから思うことですけどね。
過去には叩きのめされ、心が折れてしまいベットから起き上がれないないような状況に追い込まれ、立ち上がれなくなったことがありました。気持ちが押しつぶされて、精神が熊の絨毯の毛皮ぐらいにぺっちゃんこになってしまった(笑)。
——そこからどうやって回復したんでしょうか。
福永:じっと我慢です。ただ息をする、生存する。感じとしては冬眠状態かな。頭では敷物になったような気はしているけど、それでも死ぬという選択だけはせず、生きることに徹するのです。
いまでも、しんどいときは「生きる意味」など難しいことは考えなくともよい。生きることに意味があるのだと考えています。
虚無感や喪失感の暗闇の中にいても命を繋いでいれば、そのうちにそれまでは見えていなかった「支えてくれていた人」や「思いやり」の存在に気づける一瞬がある。そのときに相手を頼って立ち上がります。
しんどい時は「信頼関係」を見つめていくといい。社会への信頼関係だったり、それから自分に対する信頼関係ですね。自分に対する信頼というのは、つまり「自信」です。
私が過去に心がバリバリに折れて燃え尽きてしまったと感じた時期、それでも自分に対する自信という種火が灰の下に残っていたのかもしれません。だから凌ぐことができたのかもしれないですね。
——自信ってどうしたら身につくのでしょう?私は自信がそんなにないタイプで。自分のことを信頼したいと思うけど、信頼できる部分がないから無理なんだよ……と難しく感じます。
福永:そうですねえ……。些細なことでも人様に迷惑をかけているんじゃないかと思ったり、自分は無価値だと感じたり、己の欠点ばかりみて自身が嫌になったり、ついしてしまうことはありますよね。
信頼って、他人に対して行うのと同じくらい、自分に対しても意識をしないと難しい。
強いて言うのであれば、「自分にはこんないいところがある」というのをちゃんと見る、そういうことが出来れば良いのですが……。いきなり自分に対して見るのが難しければ、家族や友人、職場の人たちの長所を常日頃から見て接するようにしていくと、道が開けていくのではないかと思いますよ。
社会的に、特に事業で成功するには「まず相手を信頼すること」です。自分が相手を信頼するから相手も信頼してくれて、そういうキャッチボールによって商売は成り立っていきます。できる範囲で無理なくやるのが成功のコツだと先ほど言いましたが、信頼するのも、成功のコツだと思っています。
——今までお話を聞いてきた中で、福永さんは美糖質スイーツ開発や奨学金設立の際、多数のご友人たちに背中を押していただいてもらっており、周囲の人に恵まれてきたんだなあと思っていました。ですがそれも、福永さん自身がまず相手を信頼してこそ、築き上げられてきた関係性なのだと気づきました。
福永:世の中には無償の善意が確かにあることを信じる、起き上がれない時はじっと凌いでいく。すると生き延びられるという自信と胆力が育っていく。それをもとに、大きなことではなく、そのときにできる範囲のことを小さくてもいいからやっていく。いわゆる小さな成功体験を積み重ねることで、より自信が育っていく。人生はその繰り返しなんでしょうね。
——最後に、これから奨学金を利用して学んでいこうと考える学生さんへメッセージをいただけないでしょうか?
福永:貸与型であれ給付型であれ、やはり奨学金というものは「無償の善意」に基づいているものだから、苦しいことがあっても社会への信頼感を忘れずに生きて欲しいと思います。そういう信頼感があると、必ず成功しますから。
人を信頼でき、自分を信頼できる人は必ず成功する。
悪い方もいるので騙されないようにするのも大事ですけどね。
正しく信頼するためには虚偽と真実を見分ける眼力が必要になってくる。それは学問と経験によって身につけられることです。
世の中には大きな思いやりやあたたかな気持ちを持った人が大勢いますから、希望を失わずにね、苦しい時は休んで凌いで、それから頑張っていただきたいと思います。
成功もお金儲けだけではなく、家庭の幸せ、友人関係、いろんな“しあわせの形”がありますから、自分に合う“しあわせ”を手に入れるために生きてくださいね。
——ありがとうございました。
現在、美糖質スイーツは高知県内でしか買えないが、冷凍にも向いており、今後は通販事業も予定している。3年後には株式会社スウィーツに新工場が建つため、そこでも美糖質スイーツを製造開始するという。本格的に量産化が進めば売上は億単位と見込んでおり、最低10年の永続性を要求される公益財団法人という形の「ともしび奨学基金」が20年30年と続けられ、第1期では1人の奨学生が、2人、3人、4人と増やしていけると福永さんは考えている。他県でレシピを教えてほしいという希望があれば指導をし、もしくは美糖質スイーツではなくても売上の一部を奨学金に当てて給付型事業を起こす事例が全国に増えていくのを彼は期待している。
「早急に販路拡大のために頑張るというのはないですね。コロナウイルスでここ数年は足踏みすると思っていますし、まあ今はそう焦らず。みなさんができる範囲で無理なく一歩ずつやっていきましょうよ、という気持ちを持って、互いに進んでいけばいいですよね」
製菓経営の道で40年。数々の修羅場を乗り越えてきたであろう彼の言葉には終始おだやかさが漂っており、刻まれた皴からのぞく瞳には、小さな灯が確かにともっていた。
問い合わせ先▼
「公益財団法人 土佐育英協会」
高知県高知市本町4丁目1番48-201号 高知文教会館2階
「ともしび奨学基金推進委員会」
高知県高知市桟橋通4丁目1-28協和倉庫第5ビル3F土佐税理士法人 永野事務所内
◇美糖質スイーツの製造販売所(2021年現在)
「菓子工房シャン・クレール」
高知県南国市岡豊町吉田21-2
「菓子工房レネー」
高知県高知市朝倉己785-6
「ストロベリーフィールズ」
高知県高知市神田1130-6
◇福永さんが設立し、代表取締役会長を務める会社
「株式会社スウィーツ」
高知県南国市物部272-1
現在スウィーツでは『PAY FORWARD from KOCHI~夜明けは来るぜよ!高知家!』というプロジェクトで、新型コロナウイルス(COVID-19)による感染症に関わる医療現場の最前線へお菓子の提供も行なっています。詳細はこちらから。
ライター:オギノシエ
協力・写真提供:株式会社スウィーツ(西谷明 様)